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サイエンス・デザイナーDr.KINOKOYAのAcademic Tips

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Family | 山よりも大きく

 今日は競争的資金(ま、いわゆる科研費みたいなやつ)の締め切りが昼の12時で、当初、私の手を離れるのが昨夜になるはずだったのが、いろんな問題で結局朝まで持ち越して、結局、毎週金曜日に行っているコンサルティングに遅れて出かけた。
 現場では、久しぶりにクリーンベンチの作業などもし、晴れやかに仕事を終え、さぁ、明後日の中国出張の準備に手を出さなくちゃとかなんとか考えながらハンドルを握っていた。
 と、沖縄の刑務所にいる(あ、入っているんじゃなくて、務めているw)高校の書道部の先輩から、珍しく電話。

 うすうすと思っていたことだが・・・・。

 高校の書道部の恩師が死んだ。

 今年は、3月7日、5月4日と子供を連れて遊びに行き、体調を崩してはいるものの、元気な老人であった。相変わらずの、頭の回転の早さ。反射的に出るのであろうと思われる、駄洒落。
 少し安心したものだった。

 でも・・・
 7月に会いに行ったときには、もう、目に見えない誰かと会話をしていた。

 だから、まもなくこういう日が来るのはわかってはいたんだ。

 だけども、こうしてブログを書いていると、やっぱり涙が止まらない。
 そう、僕にとっては、彼は恩師以上の存在であったから。

 よく、「親以上の存在」と手垢のついたフレーズを耳にすることがるが、彼は正に親以上の存在だったんだと、つくづく思う。

 僕の人生は、人に助けられた人生だとよく話をする。中学、高校、大学、社会人と、それぞれの人生のステージで、不思議と人間的な魅力に溢れた指導者に導いてもらった。高校のときは、彼だった。

 高校1年の5月。僕の両親は離婚した。それが原因だかどうかはわからないが、それから程なくして、生来の怠け癖が嵩じて、僕は登校拒否児となった。ただ、何故だかわからないが、書道の時間が妙に好きで、週に一度のその時間だけは欠かさず出席したし、放課後に個人的に指導もしてもらった。
 そんな中で彼は「○○(私のこと)、おまえ学校来よらんらしいやないや?よかよか、お前は3年間字だけ書いときゃよかと」と言い、まだ1年生がいなかった書道部に僕を誘った。
 書道部なんて、カッコ悪いと思いつつ、しかし、結局僕は1年生の終わりに書道部に入部し、それから2年間+予備校の1年間書道に明け暮れた。

 自殺ばかりを考えていた当時の僕にとって、書道と彼との師弟関係は、唯一の生きるよすがであった。あの時、彼に出会い、なんとか毎日をやり過ごすことができなければ、きっと僕は、今のように生きていないのではないか?とさえ思える。

 天寿を全うしたとはいえ(確か90歳)、そんな先生が死んだ。
 唯一の救いは、いつも僕のことを心配してくれていた先生に、息子を会わせることができたことだ。

 そう、それだけが救いだ。

 心から先生の冥福を祈りに、明日、会いに行ってきます。
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