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Family | また会いましょう

 私が結婚式の司会をしたご夫婦の次男が亡くなった。
 7ヶ月。
 その葬儀に行ってまいりました。

 わが息子の子育てをしていて、如何に乳幼児というものが弱いものであるかを実感しているだけに、あまりにも儚い命でありました。夫妻の胸の張り裂けるような悲しみを考えると、胃がキリキリと痛みます。1ヶ月ほど前に司会をした友人の結婚式で、元気な4人と会ったばかり、そして、亡くなった次男とはそれが初対面でした。

 会葬御礼の挨拶で喪主である父は言いました。

 「お子さんがいらっしゃる方も、いらっしゃらない方も、私の息子が死んだ理由を周りの人に話してください。それによって、一人でも、そういう死を免れる子供がいたならば、息子の死も生きてくると思います」

 気丈にも搾り出す彼のコトバの裏に、息子の死の意味を自問した亡くなってから今日までの数日間の煩悶を受け取りました。

 だから、ここに私は記そうと思います。

 大人用の布団に寝かされていた彼は、足をじたばたさせている内に、頭上に積まれた布団に頭を突っ込んだそうです。さらにじたばたする内に、積まれた布団に深くもぐりこみ、窒息、あるいは脱水で亡くなったそうです。

 乳幼児にとって、あらゆる物は脅威であり得ます。それは柔らかい布団であっても、あるいは、タオルであっても同様です。
 例えば、顔にかかった乾いたタオルを払おうとしている時に、たまたま飲み残した牛乳がテーブルにありそれが、運悪くその顔を覆ったタオルにこぼれたら、やはり窒息で死ぬことがあります。
 例えば、まだ歩くのも心もとない幼児は、水溜りでも溺れることがあります。
 ちなみに、私の遠いいとこは、小学生の時に、近所の池に溺れて亡くなっています。

 アクシデントは常に予想を超えたところに存在しますが、その予見力を養う知識の一助として、彼の死を回りに伝えて欲しい。次男を亡くした彼は、そう言いたかったのだと思います。

 彼が亡くなる数日前、ちょうど助産師である嫁と話をしておりました。

 同僚の助産師の子供が小さい時、ある日、子供さんがそのお母さんの背中におぶさるように覆いかぶさってきたそうです。耳を澄ますと、背中の子供は息が止まっている。慌てて彼女は子供に心肺蘇生を施します。程なくして、子供は「げほげほ」と我に帰る様に息を吹き返したそうです。
 「私が看護士でなかったら、子供は死んでいたと思う。子供にはこういうことがあるからアナタも気をつけてね」と嫁は同僚から言われたそうです。

 私は、嫁から乳幼児の心肺蘇生法をその時教わりました。

 小児の心肺蘇生法
 http://square.umin.ac.jp/enzan119/G2000.html

 このケースは、例え落ち度が無くても、子供を死なせる可能性が起こりうるということを表しています。生と死の境界は、実は紙一重です。逆に言えば、私たちが今日まで馬齢を重ねることができたのは、度重なる死との境界をかろうじて、幸運にも潜り抜けてきたから、潜り抜けさせてくれた親の、周りの大人の協力の賜物だと思います。

 7ヶ月の人生というのは、ひどく短いと思えます。しかし、私は、ヒトには与えられた天命があるのだとも思います。現世では短かったかもしれないけれど、いずれ訪れる私たちの死の後、きっと来世では先輩面した彼に会えることでしょう。その日までしばしの別れではありますが、いずれまた会える日がきっと来ると信じています。

 また会おうね。

 
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COMMENT

ブログに書くのは憚られたのですが、「一人でも」というI君の言葉の重みを考え、敢えて書かせていただきました。
ともすれば、わが子の死でもあり得たのではないか?そう考えさせられたお葬式でした。

| kinokoya | 2010/06/09 21:51 | URL |

タイトルを目にして、『あっ、S君のことだ』と思いながら、日記を開きました。

お通夜の席の挨拶では、死因については述べられなかったし、葬儀の当日も(屋外に居て)挨拶の内容がところどころしか聞えなかったので、この日記を読んで、父親のI君の訴えが、ものすごい煩悶の中から絞り出されたことを知りました。
父親のI君も母親のKちゃんも、りっぱだったねー。

書き記していただいて、ありがとうございます。

| やまばば | 2010/06/09 15:21 | URL |















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