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サイエンス・デザイナーDr.KINOKOYAのAcademic Tips

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Essay | どん底に落ち込んだなら

 正月明けから顧客への商品の供給が滞っている。ようやく出始めたきのこは調子が悪く、まだまだ予約を受けた分を送り終わっていない。どうも抜本的な経営改革をやらないとまずいというわけで、シミュレーションをやってみた。

 明らかに、3月末には再度、供給できな事態が来る。さらに言えば、このままの状態を繰り返すと、毎年1千万円の赤字をさらに累積することになりそうだ。今でもすでに決算書上は2億円の赤字が計上されている。一方、年間の売上は5000万程度。単純に言えば、毎年6000万の経費が掛かっているってことだ。

 なぜこのような状態になったのか。ひとつには、狂牛病の発生により、うちのきのこの原材料であるサトウキビの葉が輸入禁止になったことだ。ちょうど、アメリカ産牛肉が入ってこなくなって、牛丼を一時ストップした吉野屋みたいなもんだ。

 吉野屋は、牛丼を止めることを選択したが、ウチは国内産サトウキビを調達することを選択した。継続して飲んでいるガンの顧客がいるからだ。しかし、この国内産サトウキビ。思ったより調達が困難で、コストが従来の数倍から10倍ほどかかっている。

 

 ウチの商品は、1箱11000円で売っている。うちの商品の2/3の内容量の有名メーカーのものは、薬局で48000円で売られている。明らかに安すぎる。

 そこで価格改定を考えた。値上げである。当然の選択ではある。この措置をとれば、収益が改善し、うまくいけば、10年で負債を消すことができる。ボクの給料ももらえるようになる。が、一体いつからスタートすべきか。計算をしてみると、準備が整うのには3ヶ月を要することがわかった。つまり、5月末までは商品が供給できない。つまり、3ヶ月売上がゼロになるということだ。

 しかし、今月末の支払いは?毎日のように借金の催促が続き、果たして今月を乗り越えられるのか。折角、将来への希望が灯り始めたかに見えた途端、どん底に落とされた気分だった。少なくとも、1500万の運転資金と350万円のサトウキビ買付資金が必要だ。少なくとも月末までに800万は借りないと、値上げそのものもできなくなる。

 しかし、ツテはない。

 僕は、シミュレーションを終え、部屋にとぼとぼと帰った。テレビを点けると、養老孟が高齢の女性と対談をしていた。女性は、犬飼道子。5.15事件で暗殺された犬養毅の孫娘で、キリスト教研究をしていた作家である(1921生、83歳)。58歳で難民問題に目覚め、カンボジア、ソマリアなどでボランティア活動に目覚めたという。国連高等弁務官の緒方貞子も犬飼の閨閥(ひ孫)であるので、恐らく犬飼は彼女の叔母に当たるのであろう。

 画面に、黒いじゃがいものようなものが写った。一瞬何か?と思ったそれは、ソマリアの少年兵士の横顔だった。戦士として教育(洗脳?)受ける過程で、相手を殺すことをためらったときに罰として上官から耳と鼻を削ぎ落とされた横顔だった。殺人教育の過程で殺すことを命ぜられた相手は、故郷の村の顔見知りや母親だったという。

 殺せないものを殺すことを拒む当然の人間的感情を表現して受ける身体的苦痛。ダブルバインドなどという生易しいものではない理不尽。そうして戦後難民となった彼らの大半は廃人のようになっているという。

 話は、オウムから小学生の殺人事件にまでいたる昨今の日本の異様さになっていった。「実感としての命の重さ」が希薄になっている。「合理という、脳内の論理でものを考えて、自然という複雑なものから得る実感が欠如している」などの話が交わされる。 

 養老は、「幸福を追求した結果、共同体内での理解が希薄になった」と、言った。90過ぎで亡くなった養老の母は、無くなるときすでに10人の子供のうち6人が亡くなっていた。子供の半数を失った母の体験から来る共感力と、誰一人欠けることなく子供に看取られて死ぬ親の体験から来る共感は、自ずから違う。養老の母の世代が希求した(子供が死なない)健康という幸福を追求した結果、(子供が死なないという)幸福と引き換えに(子供を失った)他者の不幸を理解できない新たな不幸が生じている。

 犬飼は、「極限状態に追い込まれたときに必要なものは、実践的判断力とユーモアのセンス」だという。数千人の難民を前にして、数グラムの塩を配給する仕事は、合理だけでは耐えられないという。それぞれの民族共同体が築いてきた文化に裏打ちされた、協働がなければ、一日も持たないという。

 養老は「日本人は、『どん底に落ち込んだら、後は上がるだけ』と励ます。一方、イタリア人は、『どん底に落ち込んだら、もっと掘れ』と言って笑う」という。明らかに日本とイタリアではユーモアのセンスに違いがある。そして、日本人には歯がゆいぐらいの、甘さもある。

 僕は、もっと借金を掘り起こすことができるだろうか。かなえてもしょうがない。とにかく今日は寝よう。明日があるさ。

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