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Diary | 利得

ヒトは良かれ悪しかれ、快感原則に従って生きている。一見理不尽で他者から見ると理解不能な行動であっても、本人にとっては意味=利得を得ている。

「疾病利得」という言葉を知ったのはいつだったろうか。予備校生の時に読んだ『ものぐさ精神分析』だったか、それとも学部時代の心理学の講義だったか。どういう意味かというと、病気になって何かから逃げるぐらいの意味だ。お腹が痛いと偽って、学校を休むとか、まぁそういった類のよくある話である。で、ご多分に漏れず、私もこういう傾向が少なからずあり、いつもそこに逃げ込んでは学校を休んでいたような気がする。ちなみに、私は当時まだ言葉が定着していなかった登校拒否児であった。当時の担任に「おい、お前の症状は、登校拒否って言うとぞ」と言われたのを新鮮に覚えている。

で、この言葉を知った瞬間、自分の行動が「疾病逃避」であったことを知った。

当時どのように感じたかは覚えてはいない。もしかすると、自分でもぼんやりとしかわからない自分の姿に、ある種客観的な「名付け」がおこなわれて得心したかも知れぬ。「うわ、俺病気だ、どうしよう!」とは思わなかったと思う。

以来、疾病逃避というのは、私のモノゴトを見る時の基本的なスタンスになったと思う。どういうことかというと、冒頭に書いた、一見良くない状態、行動(例えば病気)であっても、本人は、それと秤にかけて、より辛い何事かに耐えている状態が裏に潜んでいるということを観察するようになったのだ。もちろん、本当の病気とは峻別しますけどね。

好きなことをやって好きなように生きているのが本人の快感原則に従って生きているということは容易に看取することができるが、一見理解不能な行動にも、それがあることを見極めるのは、意外と難しい。ついつい、自分の観念が邪魔をして、己の価値判断=モノサシが他者理解を妨げる。

かつて平気で嘘をつく女と付き合ったことがある。未だに謎の部分が多いのだが、当時半同棲していた彼氏を弟と偽るのはまだしも、いつのまにか私は旦那さんになっていた。付き合ってもいないのに。せめて一回やってからにしてくれればいいのに(笑)。ちなみに、その嘘は、ついた、5分後にバレたんだけどさ。彼女は先天性かつ進行性の病気を患っていて、人生が長くないというようなことを言っていた(あくまでも自己申告(笑))。そこに半分同情し、一方でそれなりの美人だったので、スケベ根性も手伝い(いつものことだ)、例の如くいろいろと生活の苦労を聞いて上げていた。まぁ、最初から疑った目で見るわけではなく、最初は真剣に一つ一つの話を聞いて行くのだけれど、だんだんと情報量が増えていくと、腑に落ちない点が見え隠れしてきて、「疾病逃避」型分析モードに入るんだけどね。

普通、すぐばれる嘘を何故つくのだ?と思う。正常な精神を持っていれば。まぁ、私の彼女に対する解釈は、現実の自分が受け入れ難くて、ファンタジー=嘘で自分の環境を飾っているのだと思った。まぁ、当然、それに付き合う義理も何もないので、適度な関係で終わるわけだが。仮に、彼女が本当に人生を伴にする彼氏を欲していたのなら、自分の行動=嘘が、長期的展望に立った時に自分の利得にはならなかった訳で、そういう意味では損なことをしているのだが、短時日で見た時にはある種の利得があったことは間違いない。

で、疾病逃避に典型的な、他者には理解不能な一時的利得というヤツを求めてしまう人間には(僕を含めて)、人生にデッドラインが来ている様な切迫感が伴っている。要するに、「そんな先のこと考えてられっか!」ってことだ。今を生きるので精一杯。いやむしろ、過去の借金返済で生きることを余儀なくされているというか。こういう人間に、「きっといいことがあるよ」だの、「朝日の来ない夜はない」などと言っても無駄である(でも、言うけどね俺は(笑))。「そんなことどうでもいいから、今、ココで、この気持をどうにかして欲しいっ」てのが本音だ。

こいつは厄介ですぜ。少なくとも、軽い気持で踏み込んだら大ヤケドします。ヘタすると、自分の自我そのものをひっくり返される危険も伴います。だから、よほど大事な人間で無い限り、この道に足を踏み込むことを私はおすすめしません。ところが、これを若気の至りだかなんだかわからんが、純愛と勘違いするバカがいましてね。若いときの俺だ。まぁ、たくさん授業料を払ったってヤツですよ。それはそれで僕なりに利得にはなっているんですけどね。こうやってブログにネタとして書けるし(笑)。

で、自戒の念を込めて疾病逃避型心理に埋没する人間てのは、実は無責任で甘えん坊なんですな。自分の人生も引き受けたくない、誰かにかまって欲しい、弱い僕(私)を守って、っつーことだわ。これに気づいた時、落ち込みますねぇ~。海より深く。こういうヤツに限って、外には自信なさげに生きているものの、内側には、富士山より高いプライドを持っているものです。俺は誰に負けない才能があるだとかさ。ま、それは自分の思い込みで実際は大した人間でもないんですけどね。まぁ、そう自分で思い込まないと、他人がそういう風に接してくれなかったってことでしょうけど。でも、こういう人間は観察眼っていうか、嗅覚はやたら鋭いので、実際は内心自分の卑小さってのが視界の片隅に見えてるんですよね。それで、また「自分はなんて情けないヤツなんだぁ~」って落ち込む。もう、手がつけられませんな。だだっこ状態。もう死ね!今ここで死ね!と言ってやりたいぐらいです。言っちゃダメですけどね。

でも、これって論理的に破綻しているというか、矛盾しますよね。自分が最高の人間であると思う傍らで、現実は何もしていなくて、ダメダメで。というより、自分が最高の人間なんだという思い込みそのものが、苦しさを倍増させている。本物のバカはすごく幸せです。自分がバカだということに気付かないし、バカだということに誇りすら持っています。要するに、疾病逃避程度で悩んでいる人間は、天才でもバカもない、中より下の取るに足らない人間ってことですよ。このことに気付いて、取るに足らない人間だけど、生きていてもいいよね?という発見があれば、不思議と苦しみは減るんですね。だって、現在の自分を評価する基準軸が目の前に下りてくるんですから。深い川だと思って溺れていていて、立ってみたら、ヒザ丈だったカンジね。あれ?って。大体、その基準を作り出しているのは、自分自身じゃないですか。てか、そうすることが、結局利得になるわけですよ。自分の。苦しまなくていいから。ありもしない病気に後ろめたさを感じつつ、周囲の同情を勝ち取るより、よっぽどコストが安くて、ハイリターンだと思いません?

疾病逃避も、自分の価値を下げるのも、同じ自分が楽になる=愛するためならば、コスト安い方がお得でしょ?デフレの時代だし。精神のデフレスパイラル戦略とでも言いますか(笑)。

これ、なかなか気付かないんだよなぁ。悪人になりきれないというか。商売人に徹しきれないというか。どっちみち、自分勝手に自分が可愛いからやっているんだから、もっと徹底的にナルシストになればいいのに。そのへんも中途半端な大バカ野郎なんですけどね。疾病逃避型人間てのは。

うわー、長々と俺何書いてるんだろ。もうちょっと書きたいことあるけど、今日はこのへんにしとく。今日夕方から接待(受ける方)だし(笑)。シャワー浴びて飲みにいってこようっと。

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