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Diary | 予知?

昨日の夢に野沢那智が出てきたと書いたら、夜テレビで野沢直子が出ていた。で、いつもは滝口順平がナレーションなのだが、特別に叔父である野沢那智がナレーションをやっていた。おー、ひょっとして予知夢?

でも、次の日のテレビに出てくる役者の予知夢を見ても何の役にも立たん(笑)。この無意味さがきのこやらしくて良いといえば良いのだが。全てがムダ。無意味。

で、予知夢で思い出したのだが、ちょっと前に見たテレビで、臨死体験をした人には、全てではないが予知夢だとか、予知能力を身に付ける人がいるらしい。まぁ、きのこやは常々、スプーン曲げが典型だが、「超能力だー!」と言ったところで、「おー!」と言う以外に、何か人の、世間の役には立たない、と思っている。だってだよ、スプーンを曲げたって、迷惑なだけじゃん?予知夢にしたって、「津波の夢を見た」と言ったところで、よしんば津波が来たとして、それが、一人でも人の命を救いはしない。だって、いつどこで、が明確にわかるわけではないしね。地震の予知だってそうだ。ま、虫の知らせ程度に、ちょっといやな気分がしたから、そっち方面に行くのを止めた、ってことはあるかもしれないけど、それにしたって事後に意味付けしているに過ぎない。ようするに、後出しジャンケンじゃん?

で、臨死体験なわけだが、その番組で、体験者が語っていたのは「死ぬのは怖くないことがわかった」と、皆が語っていることだ。「きれいなお花畑が~」とか、「黒い服を来た男が~」とか、見たシーンはいろいろだが、どうも、それがすごく安心感があるということ。危機的状況に陥って、中枢で快楽物質が大量に生産されているという科学、化学的な説明は、きのこやの採用するところだが、理由や真実はどうであれ、主観的な意味において「死の不安が取り除かれた」という事実は、かなり人生にとって意味がある。

きのこやは、立ちくらみ持ちの頭痛持ちであることは、以前に書いた覚えがあるけど、実は一度気を失いかけたことがある。いや、正確には一瞬気を失ったことがある。

学生時代銭湯通いだったのだが、その銭湯の湯船に腰掛けた瞬間、一瞬、恐らくはミリセカンド単位の非常に短い時間なのだろうが、一瞬気を失った。かなり記憶は薄れているが、湯船に腰掛けた瞬間に、目の前が真っ暗になり、ストンと落ちるように意識が無くなると同時に、過去の記憶が一瞬にして洪水のように体を押し流した。すぐに、はっと我に帰り意識を取り戻したのではあるが、その取り戻した瞬間のなんとも言えない恍惚感。確か、涙は流していなかったと思うが、すげー気持ち良かった~という記憶だけは未だに残っている。んで、死ぬ間際には、過去の記憶が走馬灯のように巡ると言われているのはこのことだなぁと得心した。

これは臨死体験とは言わないだろうが、臨死体験の雰囲気を味わうには十分な体験だった。確か、その体験以来、「もう一度あの体験ができないかなぁ」と、一時期、銭湯に行く度に、期待していたような気がする。まぁ、それぐらい気持ち良かったってことだね。

それが、今の俺の死生観にどれほどの影響を及ぼしているかはわからない。薄っすらとしたインパクトしか残っていないので、やっぱ、死ぬのは怖いって感覚も、まだ残っているような気がするし。

で、予知夢なわけですよ。もしかして、あのプチ臨死体験が、今ごろになって俺に予知能力をつけたのではないか?と。確かに、いろいろと思い起こしてみれば、予知夢ではないけれど、カンが鋭くなったような気がする。特に、人間関係や状況判断に漠然と感じたことが当たっていることを意識することが増えたような気がする。ただ、「やっぱね」みたいに、予想が当たる程度の話で、これまた後出しジャンケンみたいなもんだけど。

ま、人間長く生きてくれば、人生経験も増して、論理的な推論能力も向上するので、ちょっとばかし、センシティブに状況を見ていれば、空気ぐらい読めるようになるので、特筆すべきことではないのかもしれない。スプーン曲げ程度の能力だってことだ。いや、スプーン曲げよりは人に迷惑かけない能力かも。

ここで、きのこやは「能力」というコトバを使った。しかし、これは能力と呼べるほど、優位性と価値をもったものなのだろうか?意味あんのか?

いや、こういうことがいいたいわけよ。つまり、スプーン曲げにしろ、予知にしろ、そういう「能力」を、まるで「超能力」みたいに価値付けるのはいかがなものかと。たいてい、超能力好きの人間は、他愛も無い事実をさも有難がって、その能力があることで、人を(時には自分を)他人とは違う=より優れた人間であると意味付けする傾向があるように思う。霊能力とか、新興宗教も似たようなもんだ。特に、歳とってくるとこういう傾向に拍車がかかるような気がしてならない。「もしかして、自分には隠れたスゴイ才能があるのではないか?」「あ、俺にはスプーン曲げられる」「超能力だ!」「俺って、すごい!」、ってさ。

まるで、妄想患者の妄想のようだ。てか、そのものか?てか、このような感覚は、妄想へと続く道につながっているように思えてならない。妄想が、主観的には恍惚をもたらすとしても、他人には

迷惑千番であることは自明だ。

そんな能力よりですね、わたしゃ、美味しいチャーハン作れる能力とかさ、かわいいイラスト書ける能力の方が、よっぽど素晴らしいと思いますけどね。

俺の「予知能力」にしたってさ、新聞のテレビ欄見た方が早いしね(笑)。

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