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サイエンス・デザイナーDr.KINOKOYAのAcademic Tips

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Diary | 別れ

死にたい、死ぬ~、といつも言っているきのこやです。いや、マジで死にそうなんですが、そういうヤツに限ってしっかり生きているもんです。

で、今朝、ウチの従業員が亡くなりました。

農作業中に、作業車が畦に乗り上げ、咄嗟に飛び降りたものの、水を張った田んぼにうつぶせに倒れ、そのまま作業車の下敷きになってしまったそうだ。一緒に作業していた旦那は、助けようにも力及ばず、応援が来た時は事切れていたようだ。高齢化社会の思わぬ落とし穴とでもいうか。

享年74歳。早くはないかもしれないが、遅くも無い。何より、力及ばなかった旦那は、持病の糖尿病が悪化してかれこれ10年前からインシュリンが欠かせない体となり、一時は生死の境を彷徨ったというのに。一方亡くなった奥さんは、高齢者にしては壮健で、何よりも働き者だった。

13年前、この山に来たばかりの頃、僕は泊り込みでこの農場の立ち上げに働いていた。トイレも、ましてや風呂もなく、たまに、近所の彼女の家で風呂を借りたりした。当時は、まだ家が新しくなる前で、その家は、まだ五右衛門風呂だった。まだ、孫が小学生で、習字の宿題をしていたものだから、書道が趣味のきのこやは(実は書道十段なんですのよ。おほほ)手取足取り教えてあげたのを、痛く感激していたっけ。

その彼女が死んだ。あっけなく。

このあたりは、昭和30年代の開拓地域である。つまり、農家の跡取りになれない、次男三男が、県の許可貰って、鍬一本で入植し、自分で切り開いた土地を払い下げてもらったものである。文章に書くと、それはたった一行で終わる文章であるが、その道程は、想像を絶するものだったであろう。重機があるわけではない。資金があるわけでもない。水道も電気もない山林で、まるでキャンプをするように少しづつ地保を固めていったのだ。毎朝の日課は、2キロほど先の駅のホームにある湧き水の湧き出る所へ水を汲みに行くことだったという。

そして、二人の子供を育て、2年前には、ひ孫にも恵まれた。

少し遅れて通夜の会場につくと、若い女性が子供をあやしていた。よく見ると、かつて習字を教えた孫が、ひ孫を抱えていた。私がここへ来た13年でもこれほど時間は動いている。ましてや、彼女の人生の74年は、どれほど大きく動いたのだろうか。この山に来た40年ほどはどうだったのか。

通夜の会場では、彼女と同じぐらいの人生を積み重ねた多くの老人たちが涙していた。

棺に眠るその顔は、心なしか平安を取り戻したような顔だった。

お疲れ様、ちっちゃん!

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