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サイエンス・デザイナーDr.KINOKOYAのAcademic Tips

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Family | 子育ては難しい作業か? 

 Minimum Requirements、必要最小限とでも訳すのが良いだろうか。ここ数年、私が物事を見る時には常にこの単語が通奏低音のように流れている。このブログでも、何度も登場しているはずだ。それぞれの単語は何の変哲もない英単語ではあるが、外来語のように、ミニマム・リクワイアメントという言葉を意識したのは、確か宮台真司の教育関係の記述だったと思う。別に、宮台の造語であるとかそういうことではないのだが。

 以来、親子関係にとってのMinimum Requirements(以下、MRと略称)は?とか、夫婦のMRは?とか、行政のMRは?などと問いを立てては、自分なりに考えてきたし、そういう視点で本を読んだり、テレビを見たりしてきた。これ、思考実験には、結構役立ったように思う。思考実験だけではなく、判断力を養うのに、結構、使える。ま、私の判断力をご存知のリアル友達のみなさんは、「きのこやのどこに正常な判断力が?」と訝しがられること必死ではあるが。

 MRを峻別することは、事の最も本質的な部分を射る作業であり、物事の優先順位を考量する作業である。これに似た言葉で「一言で言うと?」というのがあるが、この一言にも私は思い入れが強い。もうかれこれ10年以上前、ある政府系金融機関の理事で、大学が同窓(つまり、私の大学の大先輩という触れ込みで親しくなったわけだが)という人間に、ひょんなことからウチの社長が知り合った。てか、うちの社長は良くも悪くもいろんな人と知己になることが多い。ま、それがあまりにも玉石混交で、なおかつそこに仕事も絡むものだから、私にとってはありがた迷惑な場合も非常に多い。で、その大先輩なる人間が、「一言で言うと」がやたら上手な人だった。以来、私も、この状況を「一言で言うと」という切り口で、モノを語る訓練をしてきたように思う。そこに現れたMRであるので、敏感に聞こえたのかもしれない。ちなみに、この大先輩オヤジとは楽しい会話をしたものだが、何故だか、彼の紹介した、やたら大ネタを振る妖怪のようなブローカーに、うちの会社は、800万円詐欺にあった。今でも覚えている、大曲というおやじだった。あの800万が今戻ってくれば・・・。ま、もう問うまい。

 話が、横道にそれた。そんな、MRマニアの私が、Mr.MR(これが書きたいために、ここまで引っ張ったのではありません(笑))として敬愛し、愛読しているのが日垣隆である。彼を初めて知ったのは、たしかダイオキシン報道、今でさえ尚信じられているダイオキシンが怖い化学物質だという恫喝報道の欺瞞を、恐らくは当時唯一、正確な調査によって暴いた一文だった。

 彼の、世の偽善や欺瞞を、科学的なエビデンスに基づく執拗な調査によって解き明かしていく姿勢は、かなぁ~りひねくれたきのこやにとって、極めて好感のもてる姿勢で、なおかつ目からウロコのものばかりだった。刊行されている書物があまり多くなく、5年ぐらい前のきのこやは「もっと読みたい」と思っていたのだが叶わず、最近、ご無沙汰だった。で、昨年末、何がきっかけだったかもう忘れてしまったが、AMAZONで、大量の彼の書物を発見して、即買いしたのだった。彼のHPでしか売られていない、PDFブックまで買っちまった。それらの本を列挙すると・・・・。

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

  • 作者: 日垣隆
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/10
  • メディア: 文庫

知的ストレッチ入門―すいすい読める書けるアイデアが出る

知的ストレッチ入門―すいすい読める書けるアイデアが出る

天才のヒラメキを見つけた! (WAC BUNKO)

天才のヒラメキを見つけた! (WAC BUNKO)

  • 作者: 日垣隆
  • 出版社/メーカー: ワック
  • 発売日: 2006/10/07
  • メディア: 新書

刺さる言葉―目からウロコの人生論 (角川oneテーマ21)

刺さる言葉―目からウロコの人生論 (角川oneテーマ21)

世間のウソ (新潮新書)

世間のウソ (新潮新書)

  • 作者: 日垣隆
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/01
  • メディア: 新書

どっからでもかかって来い!―売文生活日記

どっからでもかかって来い!―売文生活日記

  • 作者: 日垣隆
  • 出版社/メーカー: ワック
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 単行本

いい加減にしろよ〈笑〉

いい加減にしろよ〈笑〉

すぐに稼げる文章術 (幻冬舎新書)

すぐに稼げる文章術 (幻冬舎新書)

  • 作者: 日垣隆
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2006/11
  • メディア: 新書

 まだ読んでない本もあるけど。どれも、MR満載というか、別に彼は、MRを説いているわけではないのだが、私の目には、このMRだけ押さえておけば、後は瑣末事であるとの判断に大いに役立っている。どれも短い文章が多いので(「殺人者~」は除く)、読みやすい。

 んで、昨夜読んだ本がコレ。

父親のすすめ (文春新書)

父親のすすめ (文春新書)

 あとがきによれば、彼の有料メールマガジンでの連載をまとめたものらしい。メルマガらしく軽い筆致が読みやすく、本を読むのが遅いわたしが、あっという間に(2時間ぐらい?)で読み終わりました。

 タイトルを見れば解るとおり、中身は、日垣隆の体験的子育て論である。しかし、そこは日垣隆。寸鉄釘を刺すが如く、実も蓋もない(ある?)本音満載である。子育てに不安持つ人に対して、DNAに子供が愛おしくなるように刻まれていると安心させつつ、[ただ、二四時間三六五日ずっと「いとおしいか」と問われれば、そんなわけあるか、と申し上げるほかありません。]と、このへんのバランス感覚というか、よくある子育て書に見られるであろう、偽善のかけらもありません。

 また、自分の子供の学校でのティッシュとハンカチ検査のくだらなさに憤った彼は、しかし、一般の親がするであろう「学校への抗議」よりも、[こういうくだらないことに関しては、いちいち学校の先生とケンカをしても仕方がない]として、[机の中にずっとハンカチとティッシュを入れておけばいいのです。息子も、そのようにしてからは、(それまで忘れることが多くてバツが教室にたくさん張られていたのだが(きのこや註))ずっとマルがつきました。]と、まさに、コストとベネフィット論で切り抜ける考え方を披露します。一つ一つのエピソードを書き出すとキリがないので、是非是非、親であろうとなかろうと、読んで欲しい一冊です。

 ところで、最近、私の身の回りで、ちょっとばかし、子育て論議みたいなやりとりがおこなわれました。私も、少なからず家族の問題にひっかかりを感じて生きてきた、今も生きているものですから、ちょっとばかし参戦し、意見を言わせて貰いました。子育て問題、あるいは教育論は、たとえきのこやのように、いい年こいて独身で子供がいなくとも、少なくとも、子供として育てられた経験はありますので、一家言あります。もちろん、学部時代は、教育学と心理学と社会学がいっしょくたにされた学科におりましたので、断片的にではありますが、教育学の入り口の周りをウロウロしたことはあります。卒論は、乳幼児の発達心理でありましたので、そのへんもちょっとはカジっているとは言えるかもしれません。ま、そんなプチ自慢をしてもしょうがないのですが。

 そんな中次のような事例が出されました。ある両親が離別している30過ぎの妻も子供もいる男性が、たまたま出張で出かけた地で、おそらく偶然タイミングが良かったのでしょうが、数年ぶりにお父様と会ったそうです。その事実を、帰宅後聞いたお母様(要するに、元妻ですね)が、「誰が一番大事なの!」と怒ったそうです。詳細は不明ですが「父親に会っても良いIという許可を(いつごろかは不明ですが)受けていたにもかかわらずに(忘れるぐらい前だったのかね?)。いや別に「言ったことを守れ」と言っているのではありません。この数年ぶりに、産みの親と、たまたま出かけた出張先で会うということに、何の物理的、心理的デメリットがあるのでしょうか。全く理解ができません。その怒られた30代の息子さん(ま、友達なんだけどね)には悪いですが、バカな親だと思います。もちろん、そのご夫婦のこれまでの人生の経緯や、どういういきさつがあったのかは、ま~ったく知りませんので、止むに止まれぬ理由が、私の想像を超えてあったのかも知れません。

 それは別に良いのですが、この事例を聞いて、私にも同じような経験が思い出されました。前にも書いたように、私の両親も、私が中学3年生の時に離婚しています。その母が、私の記憶では、小学校低学年の頃からですが、夫婦喧嘩をするたびに、泣きながら「離婚したら、どっちに付くの!?」と聞かれていたことを思い出したのです。確か記憶では、小学生の時には「お母さんについていく」とかなんとか、一緒に泣きながら言っていたような気がするのですが、自我が目覚めたのであろう中学ぐらいから、「どっちにも付かない!〇〇(私の苗字)なんかも、いらん!名前も変えてやる」と反抗(ん?反抗なのか?)したりしておりました。一方、私の父も若かったのか、夫婦喧嘩になると物を投げたりして壊すもんですから、そりゃもー阿鼻叫喚といいますか、終いには、安易な展開で強縮ですが、母親が包丁を持ち出して「死ぬ~」なんちゅー三文芝居を見せられ続けたものです(笑)。もうちょっと激しければ、柳美里ぐらいになったのではないかと密かに悔しがっていますが。どこまでも中途半端な一族です。一方、そんなこんなでありながら、三浪ではありますが、有名私立大学に働きながら独力で通ったわたしは、結構、大物なのかなぁと思ったりします。今では、博士になりましたしね(すみません、自画自賛です)。

 話が逸れました。当時、あるいは30ぐらいになるまでは、この過去の日常的事件につきましては、あまり思い出したくない事実でありましたので、あまり意識的に考えることはなかったのですが、最近は、己を客体化できるようになったのか、はたまた心が壊れてしまったのかはわかりませんが、当時の自分の気持ちがなんとなくわかるように、というか解釈できるようになりました。

 子供にとって、親とは、代替不可能な存在なんですね。どんなに悪罵したくなるような親であれ、反面教師としての機能しか見出せない親であっても、やはり「大好きな」親なのであります。ま、だからといって、「強くてお金持ちのパパ」と「料理が上手で美人な明るいママ」が、いつもラブラブでいて欲しい、なんちゅー70年代の「りぼん」に描いてあるような家庭を求めているわけではさらさらありませんけど。しかしながら、その代替不可能で、等価値である両親から「どっちに付くのか?」って、本宮ひろしのマンガじゃあるめーし(古いね(笑))。小さいとはいえ、それなりに他者への配慮が芽生えている子供が、そんな理不尽な質問に答えられるでしょうか?

 これは偏見ですが、女ってヤツは、少なくともレベルの低い女ってやつは、この「理不尽な二者択一」を往々に迫ります。また、さっきまで「愛してるの!」と言っていたにもかかわらず、相手の男が我が物にならないと思った瞬間「てめ、最低!」と、余韻もドラマも感じさせない、よく言えばはっきりとした、悪く言えば極端な反応をしたりしますが、これも二者択一のバリエーションです。ま、デジタル制御ですね。二元論は、女が考え出したに違いありません。ヤツらの心電図は、矩形波でできてるはずです。

 さて、友達の母親にしろ、きのこやの母親にしろ、ちょっと考えれば理不尽な問いを反射的にしてしまう。これを愛情の裏返し、かけがえのない我が子を誰にも渡したくない、という愛情の発露故と解釈する方もあるかもしれません。確かにそれもあるでしょう。しかし、それは裏返せば、「誰よりも私を愛してほしい」という「いきすぎた」愛情の欲求のように私には感じられます。いや、別に愛していないと言っているわけではないのです。もちろん、貴女は大事です。多分、世界で一番大事です(ん?嫁と子供の次かな?)。でも、それと同時に、2番目、あるいは、10番目ぐらいかもしれませんが、同時に父親も大事なのですよ。よく、考えてください、件の友達は確か5年ぶりぐらいに会ったと言います。一方、母親は、同居しているかどうかはわかりませんが、少なくとも、帰ってきて報告を聞くぐらいの頻度で会っているのです。5年、1825日、43,800時間のうちたった数時間、仮に2時間会っていたとして約2万2千時間分の1時間、すなわち、0.000046の比率で会うことに対して、「どっちが大事」という感覚は、私にはよくわかりません。もしかして、算数が不得意だったのかもしれませんね。お母さんは。スーパーのおつりはちゃんと確かめていますか?あまり、友達のお母さんをちゃかしてはいけませんね。ごめんなさい。

 つまり、この程度の、言ってみれば、交通事故に遭って死ぬ確率に近いぐらいの稀なことをも許容できない心とは、一体、どんな心なのでしょうか。これは断じて愛ではない。私には、しがみつき、執着にしか見えません。こんな極端な例ではなくとも、執着を臭わせる場面はそこここに見られます。あなたは大丈夫ですか?

 先の本で、日垣は「子育ての目標は親を必要としなくなること」である、と述べています。私が書くと「子育てとは子供を自立させることである」とつい抽象的な熟語を使って、話を曖昧にしてしまいます。このへんの感覚が好きです。まだまだ私は考えが足りません。さらに彼は、自立には「内面的自立」と「形式的自立」があるといいます。一見、こう書かれると「内面的自立」目指すのだなと早合点してしまいます。が、彼はこう言います。

 [内面的自立とは、みずから責任を負うべきことを他人のせいにしないということであり、形式的な自立とは、親を必要としなくなる状態です。/いい歳をした大人になっても、内面的な自立ができていない人はたくさんいます。ただ、内面は客観的な指標とはなりにくいので、形式的な自立の成否を見ておくしかないでしょう。(中略)子どもの自立についても、親がその有無を認定する、ということになるとかなりマズいことになります。現代の奴隷制と言ってもいいでしょう。AC(アダルト・チルドレン)のほとんどすべては、この「奴隷的な子育て」の必然的結果でした。]

 私は、このくだりを読んで、目頭が熱くなりました。常日頃、「自立」と「自律」を考えてきたつもりでしたが、「内面的自立」と「形式的自立」という問いは立てたことがありませんでした。最善なものは、もちろん「内面的自立」ではあります。しかし、それが誰かの(特に親の)恣意的な解釈に委ねられた時はどうなるのか?ここには、公平性と蓋然性、さらには、危機回避的経済学が働いています。ようするに、どっちがより少ないコストでそこそこの成果が得られるかということです。内面的な自立は確かに人生の課題ではありますが、それは、自己に課すべき課題でしょう。

 因みに、この本は、あまり抽象的な議論は出てきません。まるで、パソコンの解説本、例えば『できる!エクセル』を読むように、『キミにもできる!子育て』みたいな、肩の凝らない話が満載です。具体的な場面に対する、最短で低コストな解を与えつつ、子育てに対するMRをさらっと心に挿し込んできます。私が、子育てに悩む親だけではなく、あらゆる人に読んで欲しい所以です。

 また、私には、嬉しいオマケもついていました。彼の本を読んでいて、彼自身の境遇に非常に興味を持っていました。これまで読んだ本で、彼の兄弟が、何かの事件で殺されたこと、兄が未だに、統合失調症で入退院を繰り返していることは知っていましたが、彼の親がどんな人だったのかは、これまで目にすることがありませんでした。それが、この本には出てきます。また、彼の子どもたちのエピソードも満載です。小学二年の時に、少年ジャンプの懸賞ハガキに、自分の名前を「日がさ し(しのさかさま)んご」と書き、その後も、通知書で「一」と「二」しか貰ったことがなかった長男が、高校三年で書いた劇的な小論文の実文も載っています。多分、ウチの大学院生も、ここまでしっかりした小論文は書けないのでは?と思えるほどです。(ウソだよ、うちの子供たち!)

 先に書いた友達のお母さんにしろ、私の母にしろ、褒められない部分もありますが、ともに大事で大好きな人です。日垣は、[期限がきたときに自立さえさせてあげられれば、ありふれたダメな親でいいのです。無理をしない、というのはそういう意味です]と書きます。きっと、彼女たちは頑張りすぎたんでしょうね。「私がしっかりしなければ、あの子はダメになってしまうかも」と不安に怯えながら、それは尾首にも出さず、毎日、欠かさずに夕飯を作っていたのでしょう。ありがたいことです。お父さんたちにしてもそうです。

 MR的思考は、手抜きの思考です。とりあえずコレさえあれば、なんとかやりすごせる、という最低限のものごとを見つめ、あとはオマケとばかりに、欲と執着に歯止めをかけるものの見方です。多くを望まなくなると、不思議なことに、全ての物事が、グリコのおまけのごとく、たとえそれがチャチなおもちゃであっても、ありがたく感じるものです。無人島に持っていく究極の1枚、というmy bestレコードを評する企画があります。人それぞれ、これだけあれば、という1枚があります。MR思考は、必ずしも、唯一の物事を指し示すとは限りません。人それぞれの感覚と与えられた環境に導かれた、複数の回答があることもあります。

 あなたの人生のMRは何でしょうか?私ですか?ええ、もちろんゼニです! 

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